中越地震をきっかけに生まれた、たくさんの仲間がいる集落
長岡駅から車で50分。旧川口町の山の中に、木沢という集落があります。中越地震の震央のすぐ近くの集落であり、地震では多くの被害があったとともに、集落住民がボランティアなど外から来た人たちと力を合わせて復興の階段をのぼってきた集落です。
地震の時は、山が崩れ、ふもと川口町に続く道路が壊れ、一時は孤立した集落ですが、住民たちは日ごろからなんでも自分たちで作って生きているツワモノぞろい。コンクリを流し、重機を使い、自分たちで道を作ってしまいました。大変な時すらも集まってお酒を飲んだり笑っていた住民たちの様子に、ボランティアで都市からやってきた若者たちはびっくり。あっという間に魅せられていってしまったのでした。
集落に「暮らす」インターン生たち。大きな家族のような集落。
そんなこの集落とは、震災の時からイナカレッジスタッフはつながりを持っていましたが、初めてインターン生が入ったのは2012年。木沢集落とは少しだけつながりのあった、大学を卒業したばかりの高橋要さんが、1年間の長期インターン生としてこの集落で暮らしました。
集落は全部で30世帯ほど。子供はおらず、廃校になった小学校の校舎は現在宿泊施設として活用されています。住民は集落の外に仕事をしに通っていたり、仕事をもうやめて木沢で農業や大工をしながら暮らしていたりと様々ですが、夏には盆おどり、秋には収穫祭、と集落ぐるみで行うイベントはとても多いです。
震災ボランティアなどで外から通う学生は今までにもいましたが、要さんのように集落内に住んで毎日そこで時間を過ごすという人は初めて。集落の人の日常のお手伝いから話し相手、フレンドシップ木沢というこの地域の団体の応援など、要さんが1年間いたことで、集落の人たちはもともともっていた魅力をますます外に出して活き活きと暮らすようになりました。
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また、2014年より木沢集落のある空き家を改修し、木沢に外から人が来た時の拠点となるような場所づくりも始まりました。有志団体「yamakawa_sun」やフレンドシップ木沢のメンバーを中心に長岡造形大学の学生や大工仕事の名人である集落の方が力を合わせて改装した、「里山ハウス」の名前で知られるこちらの空き家は、今や毎週末そばや「里山食堂」が開かれ、しょっちゅう元インターン生や若者が泊まりに来る場所となっています。
改装プロジェクトのブログはこちら↓↓
2015年には東京出身で狩猟に興味がある山縣洋之さんがインターン生に。改修が終わった里山ハウスの二階で暮らしながら1年間を過ごし、その後集落内の空き家を借りて住み続けることになりました。
大学生たちも参戦!山のナリワイから商品を考えるプロジェクト「百姓百貨店」
1年間、という長期ではなく1か月で大学生がプロジェクトを行う短期インターン生を受け入れたのが、2016年夏。「百姓百貨店」という仮想のお店作りがテーマで、木沢のこの暮らしの豊かさや知恵、人間性を商品に詰められないか、とアイデアを百個出すミッションに取り組みました。
東京の大学生2人(うち一人はイナカレッジ事務局に就職しています)と、台湾からの留学生が1人の計3人の女子大生が「1か月間集落に暮らしながら商品を考え、作ってみる」。人に説明するのがとても難しいこのプロジェクトですが、「誰に何を届けたいか?」「お金ってなんだ?」と様々な問いについて考える学びの機会にもなり、続編として2017年も別の大学生を募集して実施するほど熱いプロジェクトとなりました。
2017年は新潟県内の女子大生3人が、去年出たアイデアや新しいアイデアの中から、「木沢名誉村民」と呼ばれる住んではいないけれど木沢に通ったり住んだりしてつながりのある人たちに届けるための「木沢セット」を作成しました。
木沢集落の高齢化・人口減少は今も進んでいます。でも、どんな人も自然に受け入れ、幸せを届けてしまうこの集落の強さは、経済性とは全く別次元に深く意味があります。
行ってみたい方はいつでもご連絡ください!「百姓百貨店」もゆるく続いていますので、ご興味のある方はFacebookやネットショップを見てみてください。
ネットショップ「百姓百貨店」https://hyakusyo100.thebase.in/