9月30日
インターンが終わりました。
休学して新潟に来ると決めたとき、半年後には少なくとも将来自分がほんとうにやりたいことに向けて何か突破口を得られているのではないかという、なんとも他人任せで受動的な気持ちでした。当時は自分でなんとかもがいているつもりでしたが、きっかけをもらったその先は自分で動いていかないといけない。それが全然できなかったなあとしみじみ思いました。
ネガティブな結論から書いてしまいましたが、そんな反省を軽々どっこい上回った良いこと、得たこともたくさんあるので、ちょっと過程を振り返ります。
なんで長岡に
1998年に清水美波は生まれました。
小5までは大阪府、小6からは神奈川県で育ちました。と聞くと都会を思い浮かべるかもしれませんが、どちらも小さな土手と用水路、鬱蒼とした神社、坂道と階段と狭い路地などがある昔ながらの地形が残った、子どもにとっては遊び放題の住宅街でした。
そんなわけで物心つく頃から外遊びが大好きで、蝉を捕まえ、木に登り、塀から落ち、近所の犬を愛でて、ボールを蹴って投げているうちに転校が決まり、小中はなじめなかったものの高校で弓道部に入り友達もたくさんできて、あ~農業とか自然に関わる仕事がしたいなあと思い千葉大学園芸学部緑地環境学科に入学しました。
入学してから、緑地環境学科は農業ではなく樹木や公園、林業や生態系などが中心の学問であることが分かりましたが、自分はなんとなく規模が大きく高所が好きだったため樹木や山のほうが好きだなあと思うようになりました。
3年生になり就活、となった矢先、長い間ごまかしていた問題に直面します。
中学生くらいからあった持病の片頭痛が悪化し、3年のひどい時期には授業や予定のある日の前後の日にはバイトも入れられない有様。こんな自分が果たして、屋外で直接自然に関わる仕事に就けるのか、それ以前に週5日もフルタイムで働けるのか。不安で片頭痛が悪化する悪循環でした。
しかし色々な条件で仕事を調べるなか、どのような形であれ「好きなことに関わる」ことは妥協したくないことに気付きます。
自然や植物を仕事にできなくてもその近くに住むことはできる。
あるときぱっと思って、休学して地方で働きながら住んでみようと思い調べる中、『イナカレッジ』『大林印刷』『活版印刷』に出会いました。
新潟、山に海に川がありご飯もおいしいと聞く。行ってみよう。
長くなったので後半は少し簡略になりました。

活版印刷を手動で行うための機械『テキン』

活版印刷で使う『活字』
大林印刷
大林印刷は長岡市にある印刷会社で、かつては主に企業をお客様としていました。現・山田社長が就任してからは、昔ながらの印刷技術である『活版印刷』を復活させたり紙モノ雑貨を作ることで、紙離れが進む現代で個人の方も対象に、価格に左右されない紙や印刷の魅力を伝えるべく取り組んでいます。
上で書いた自分の経緯を見ると印刷会社とは無縁に感じるかもしれませんが、大量生産大量消費に疑問があったり、単純に昔ながらのものや機械が好き、というのもあって見学に行った際に「ここに来たい」と直感で思いました。
ここで私は、魅力を伝えるべく、イベントの企画や商品企画、SNSを用いた発信などを担うことになりました。
なんかうまくいかない
意気揚々と長岡市に上陸。これから自分が取り組める未知の世界にとてもわくわくしていました。見たことのない機械、紙、仕事っぽい会話。
他の社員の方とも一緒に作業して、くだらないことで笑いあって、色々教えてもらったり。活版印刷に興味のある人と関わる度に、モノを価格でなく、自分にとって価値があるかどうかで選ぶことでいかに心が豊かになれるか話したり、意外とアナログ界の未来は明るいのではないか?と感じてしまう日々でした。
しかし半年間、自分が成し遂げたこととは。
商品企画は、自分が欲しいと思えるものを目指す自分と、まだ世になく本当に価値のあるものを作りたいという社長の想いがぶつかり。
イベントは計10日間程開催し、子どもも大人も楽しんでくれたがその場限りで、ファンを増やすことに繋げられない。
紙雑貨を委託販売できる雑貨屋やカフェなどを探して営業するも、何を話して決めればいいのか分からない。
何をやっても今一つ取り組んでいる方向が分からない。
なんでだろうとずっと考えていたら、自分はただただ魅力を発信するために、自分のプロジェクトとして大林印刷に関わっていました。しかし大林印刷としては、企画して何かを作る、また開催する以上、そこにはお金がかかる。たとえ赤字になったとしても、次につながる何かが無いと意味はない。自分が『会社』にいるという自覚が全然足りませんでした。
だんだんと考えることが(自分で)勝手に多くなって、次は何に取り組めばいいのか分からなくなっていきました。

ワークショップで作る活版印刷のリングノート

ひもで留める手紙『カキトメ』

ぽんしゅ館新潟での展示販売
『頑張る』とは
半年間、なんだかうまくいかないなあと思いながら、出来ることを頑張ろうと思っていました。紙ことも印刷のこともほとんど何も知らず飛び込んだのだから、吸収できるだけ吸収して、何も無いなりに考えることをやめてはいけないと思ってやっていました。
でも会社は『頑張っていること』に給料を出しているわけでは無い。それを痛感しました。
自分がもともと悩んでいた、体調としたいことのバランスもそうですが、自分の『できること』が抜けていては、『したいこと』『聞いてほしいこと』は相手にとってただのわがままになってしまう。自分は働くことについて何か突破口が見つかるのを期待してインターンに参加した側面もありますが、それについては、
自分の欲求を相手に突き出しておいて「代わりに頑張るから!」
で乗り切ろうとしている自分の甘さが浮き彫りになりました。もちろん、踏ん張ったり頑張ったりしなければいけないこと、たくさんあるし、それによって人の心をを動かすこともできますが。頑張る「だけ」は違う。
それが一番インターンで学んだことです。
生活は続く
私が参加したプロジェクトは集落インターンなどとは少し毛色が違って、駅周辺での生活であったのもあってふんわり想像していた「毎日山と田んぼを見てこの風景もうおなかいっぱい」という暮らしではなかった(ちょっと自転車や車で走ればすぐ田と山ですが)けれど、この半年の生活は期待の3倍楽しかったです。そして今も離れられず同じ場所で暮らしています。
同じ場所というのはシェアハウスなのですが、社会人と学生合わせて5人暮らし。
近所に住む人も合わせて、一緒くたに交わって生活する非日常が自分の日常になっているのがふと嘘のように感じられることもあります。自分が何をして生きていきたいのか話しては考えて、と思えばくだらないことで真夜中まで笑い続ける日々。
インターンの終わった私は流動的にやることを変えて、実りが無いように感じられて密かに焦りもありますが、まだ長岡から離れたくない。
大林印刷との関わりも、生活拠点との関わりも、かつてなく生身で関わった半年間で得られた大切な縁です。知らないうちにとんでもなく深く私の価値観や考え方に根を張っていることでしょう。
そして『できること』を増やして、自分のしたいことを見て見ぬふりをしない。
自分の中に、新しい軸、柱が出来たような半年を過ごしました。たとえ長岡を離れても残ってほしい。折れかけたら、その時には誰か助けてください。