『いてくれるだけでいいんだよ』 【堀川摩耶】

初めての田舎

新潟県小千谷市の川井地区に3週間滞在しました。冊子のテーマは「百姓図鑑」。

 

3人で話し合った結果、私の場合は、「農業」というキーワードのもと何かまとめてみようということになりました。

生まれて初めて、一面に広がる田んぼ、畑仕事を毎日欠かさないおばあちゃん達に囲まれて生活する中で、「農業」への興味は高まり、普段は聞けないことを聞けるこんな贅沢な機会ってない!と思ってウキウキしていました。

1対1の人間として

「農業の担い手がいない」

地区の農家の人のお話を聞くたびに、この問題をひしひしと感じました。

当たり前のことだけど、地区に住む人みんなにそれぞれの生活があって、誰かが悪いわけではない。

だからこそ、本当にどうしていいか分からないなあと思いました。

話を聞きに行くと、ほとんど初対面の大学生である私にも真剣にお話をしてくれました。それが、本当に嬉しかった。

私は彼らにとって、「都会から3週間だけ来ている女子大生」であり、そんなフィルターをかけて私という存在が見られることは当然のことだと思っていました。私自身、「農家をやっている人」、「農村で暮らす人」、というフィルターを無意識のうちにかけて、話をしていた場面も多かったと思います。

それでも、そんなフィルターをかけずに、むしろ取っ払おうとする姿勢で、1対1の人間としてお話することができた!と感じた出会いがありました。

 

ほとんど初対面の人に話を聞きに行くということは、私にとってものすごくハードルの高いことでした。

それでも、実際にお家にお邪魔すると、思っていたよりもリラックスして話せたり、色々な事柄について話を聞けたり。それは、「よそ者」の特権かもしれない。

もし、私が川井で育ったなら、聞かせてもらえなかった話ばかりだったと今振り返ってみて思います。

もやもや

そんなふうに、よそ者の「特権」を感じつつも、私は「都会のひと」、「若い女の子」、「東京の大学生」として見られることによるある種の違和感も感じていました。

 

私は自分のことを自然に触れる機会なく育った都会っ子だと思っていないし、普段「若い女の子」という自分自身の1面がそんなにフォーカスされることもないし、東京の大学に行っていると言っても、上京して1年経っても東京にはそんなに馴染めない人間だし、、

こんな、普段は絶対に感じることのない感覚に、モヤモヤしていました。

また、違う種類のモヤモヤもありました。

 

自分はここに住み続けるわけでもなく、もしかしたら3週間という期間をここで過ごすのは最初で最後かもしれない、それなのにここにいる意味はなんなのだろう?

どれだけ話を聞いて、地区の農家さんの問題意識をひしひしと感じても、私は結局3週間が終わったら東京に戻るのだなあと感じていました。

 

そんな中、冊子という形で、地区の皆さんに恩返しすることが本当にできるのかなと疑問に思いました。

地区のお世話になったある人から、「冊子なんか作らなくていい。いてくれるだけでいいんだよ」と、冗談交じりに言われました。

何気ない言葉だったけど、その言葉に少し救われた気がします。

伝えたいこと

そんなことがありながらも、

冊子を作るときに、私が伝えたいことはなんだろう?と考えた。

私の思いは、事情をよく知らないよそ者の独りよがりな意見かもしれない。

本当は、地区の農業の担い手が1人でも多くいるといいなと思うし、今、川井の農業のことで悩んでいる人たちの悩みがなくなればいいなと思っています。

 

でも、それは私が伝えるべきことではないと思いました。

 

私に伝えられることは、

田んぼを見るたびに本当に綺麗だと思ったこと。

私たち人間をつくる大切な食べ物をつくりだし、生き物たちの住みかとなっているのだと思うと更に田んぼが美しく見えたこと。

見る人がいなくなり荒れた田んぼを目にしたとき、地区の美しい風景はひとの「自然と共に生きるための努力」によって存在するものなのだと思ったこと。

川井のお米農家さんは、私の目に「綺麗な田んぼを守るひと」として映ったこと。

そんな農家さんを、なんて素敵な役目を担っている人なんだろうと思いながらも、同時に強い覚悟がなければやり遂げることのできない役目なんだろうと感じたこと。

 

そんな思いをうまく伝えることの難しさを感じました。

3週間を振り返って

今、東京に戻って再び大学での寮生活が始まってからも、時々川井地区のことを思い出します。特に寮で料理をしているときに、川井での食生活は本当に幸せを感じることのできるものだったなあと思います。

有り余るほどの野菜を贅沢に使ったこと、どこでとれた食べ物かわかること、ご飯を3人で囲んで食べる幸せ。

3人での共同生活は私にとってはものすごく楽で、ちゃんとした日常なんだけどある意味非日常も感じる日々の中で、「これぞ夏休みだなあ」としみじみ感じていました。

同じ共同生活と言っても、大学の寮での40人の共同生活とは全く違い、3人だからこその距離感があって、その日常と非日常の混じった何とも言い難い心地よさを今でも思い出します。

2ヶ月以上あった今年の夏休みの中で、その時その時に感じたことをこんなにクリアに思い出せるのは川井で過ごした3週間だけです。それだけで、私が川井に行った価値があると思うし、川井で私が出会った人にとっても、特別な3週間となっていたら嬉しいです。