【連載vol.1】やりたいことがわからない(西田卓司)

1.やりたいことが分からない

小さな本屋「ツルハシブックス」(2011.3~2016.11)には、JR越後線内野駅前という立地の良さもあり、たくさんの大学生が来店した。

店内にはソファがあり、店員侍と呼ばれる店員役とお客さんとの会話が起こっていることは日常の風景だった。

 

だんだんと馴染みの顔も増え、話をするようになった。

時には、悩みを打ち明ける大学生もいた。

その悩み相談のうち、圧倒的1位が「やりたいことがわからない」だった。

 

聞けば、就職活動(以下、「就活」)を目前にして、自分の進路について悩んでいるのだという。あまりにもその悩み方が深刻だったので、そのことについて考える時間が増えた。

 

その中で見えてきたことは、

「やりたいことは何か?」という問いが違うのでは?

ということだ。

① 夢・目標至上主義

高校生までの学校教育(キャリア教育)を受けてくると、「やりたいことは何か?」と、問われ続ける。

そこでの模範解答は、

「研究職に就きたいので、理系の大学に進学したい」

あるいは

「美容師になりたいので、美容師の専門学校へ行く」

などである。

 

だから皆、「やりたいこと」を職業名で答えようと思う。そうしないとその先の話につながっていかないからだ。
その問いを続けていくと、「やりたいことが(まだ)見つかっていないので、(文系の)大学に進学する」などということが実際に起こっている。

2011年、アメリカ・ニューヨークタイムズ紙にこんなコメントが掲載された。「2011年にアメリカの小学校に入学した生徒の65%は、大学卒業時に今は存在していない仕事に就くだろう。」(デューク大学デビッドソン博士)

 

近年「AI(人工知能)」などの発達によって、この数字は現実味を帯びている。つまり、15年後に、今ある65%の仕事は違う仕事と入れ替わっている、ということである。

 

夢・目標至上主義の中で、「やりたいことは何か?」と問われ続け、それに答えられずに苦しんでいる大学生を数多く見てきた。

しかし、「やりたいこと」を職業名で答えることにどれほどの価値と意味があるのだろうか?

 

② 無限ループする「やりたいことは何か?」

僕自身が、大学在学中に、畑のある公園づくり「まきどき村」というプロジェクトを開始し、大学卒業後に就職をせずにフリーランスとなった。

友人の結婚式に出席するのが鬱だった。

「おまえ、いま何やってんの?」

「畑やりながら朝ごはんとかやってるよ。仕事はフリーでいろいろ。」

「いいねえ、好きなことやってて」

 

そんな会話を交わしながら、家に帰ってから落ち込んでいた。

「俺にも、土日休みの人生があったかもしれない」という後悔と、

「これが本当に自分のやりたいことなのか?」という不安が常にあった。

 

つまり、「やりたいこと」という問いは無限にループするのだ。

一時、見つかって、「これが自分のやりたいことだ」と思っていても、

すぐに「これは本当に自分のやりたいことなのか?」という問いが襲ってくる。

 

つまり、この問いに終わりはなく、不安なままなのだ。

③本当の課題は、「やりたいことがわからなくてつらい」

「やりたいことがわからない」だから「やりたいことを見つけよう」ことが解決策のような気がしてくる。

しかし、本当の課題は、「やりたいことがわからなくてつらい」ではないだろうか。

そしてその解決策は「やりたいことがわからなくてもつらくない」ではないか。

 

そして、考えるべきは、「やりたいことがわからない」はなぜつらいのか?と問いかけることではないか。

 

 

2「やりたいことがわからない」はなぜつらいのか?

 

「キャリアデザイン」という考え方(理論)がある。多くの場合、いわゆる「キャリア教育」は、「キャリアデザイン」的発想で作られている。

つまり、目標設定・達成型キャリア形成である。つまり、夢・目標を決めて、そこに向かって、どのように進学や学校での勉強を設計していくか、ということである。

 

「キャリア教育」で習うのが「キャリアデザイン」理論しかない場合、自らの未来を切り拓いていくのはその方法しかないと思ってしまうかもしれない。

 

だから、「やりたいこと」(=夢・目標)を早めに決めて、そこに向かって進んでいく人生が「正しい」人生のように思えてくる。

 

有名スポーツ選手の小学校の時の作文には、大リーグに行くとか、オリンピックに出るとか、セリエAで活躍するとか、書いてあり、小学生ながらめちゃめちゃ努力をしていて、感動を覚える。

 

だから、あなたも早く夢や目標を決めなさいよ、そこに向かって努力しなさいよ、というのだ。

 

この話、どこかおかしいところはないだろうか?

 

その1 統計的根拠が薄い

小学校6年生の作文に、「Jリーガーになりたい」「そこで活躍してセリエAへ」と書くサッカー少年(あるいは少女)は何人くらいいるのだろうか?

統計によると、毎年約120万人の子どもが小学校を卒業しているのだけど、サッカー少年の多くはそのような作文を書いているだろう。その中でJリーガーになれるのは1500人程度で、さらにセリエAや海外で活躍できるのは、数十人である。つまり、当たり前なのだが「サッカー選手になりたい」と言いながらサッカー選手になれるのはごく一部なのである。

 

その2 身近にいるカッコいい大人

身近にいる、この人、カッコイイな、ステキだな、と思える人にインタビューをしてみることをお勧めしたい。その人がその仕事を志したのはいったいいつだったか?10人に聞いたら8名はあなたと同じ年のとき、その仕事を目指してはいなかっただろう。

 

その3 学校の先生の多くはキャリアデザインの達成者である

学校の先生の多くは、夢・目標として先生になることを目指し、それを達成した人たちである。したがって、「キャリアデザイン」理論を支持するのは当然である。ただ、先生がカッコいい、ステキだな、と思えるか?というのはまた別の問題ではあるが。

 

 

3「キャリアドリフト」(=計画された偶発性理論)という考え方

 

スタンフォード大学のクランボルツ博士や神戸大学の金井壽宏教授による理論で、ドリフト(漂流)するように、流れやタイミングに身を任せてしまう、そしてその「偶然」「機会」を自ら作り出す、という考え方がキャリアドリフト。

クランボルツ博士によると、「好奇心」「持続性」「柔軟性」「楽観性」「リスクテイキング(冒険心)」の5つの項目を高めていくことで、自分らしいキャリアを形成していける。

 

何か新しいことを始めよう、とか、違うことをやってみよう、と思った時に、

周りの友人や大人に、「それ、何のためにやるの?」と聞かれて、うまく答えられなくて、それを断念したり、やったとしても、不安に思ったことがある大学生は多い。

 

「やりたいことがわからない」というキャリアデザイン的な「目標設定・達成」の呪縛は、

「今やっていることが(将来の)何かにつながっていかないといけない」という呪縛を同時に生み出しているのではないか。

 

人生という海を、漂流してみる1つの機会をつかめば、また次の機会がやってくる。

 

「なんのためにやるの?」と問われたら、こう答えればいいと思う。

 

「なんとなく」

 


書き手プロフィール>>

西田卓司:余白おじさん/現代美術家/NPO法人ツルハシブックス代表理事

新潟大学農学部在学中、畑はコミュニティの拠点になり得る、と任意団体「まきどき村」を設立、毎週日曜日に農作業後に囲炉裏を囲んで食べる「人生最高の朝ごはん」を実施。

2002年に不登校の中学3年生との出会いを機にNPO法人設立。(現在のNPO法人ツルハシブックス)

2008年、地域企業(主に新潟市)における大学生の長期インターンシッププログラム「起業家留学」を開始。

2011年、新潟市西区JR内野駅前に新刊書店「ツルハシブックス」を含むウチノ・コラボレーション・ラボラトリーを事業開始。

2015年、茨城大学社会連携センターにてCOCコーディネーターとして勤務。地域志向系科目の運営サポートおよび大学生の地域プロジェクトの立ち上げに携わる。

2018年、「にいがたイナカレッジ」に参画、中間研修等を担当。

現在のキーワード:「本」「本屋」「食」「農」「中動態」「地域」「キャリアドリフト」「感性」「身体性」

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