「暮らし」の延長線 【檜山諒】

「新潟きません?」

私がイナカレッジに参加するきっかけになったのはこの一言だった。

正直はじめは、一か月は長い、知らない人と生活できるのか、お金かかりそう、と言い訳をして、そのままにしていた。でも、大学生活初めての夏休み。人と同じことはしたくないな。そう思った時、またイナカレッジに興味が出てきた。申し込みのギリギリに連絡をして、自分自身を試したい、編集に興味があるなど、思っていることを正直に話した。

 

そうして私は釜谷での梅のレシピをまとめるプロジェクトを選んだ。

もともと田舎に興味があったこと、何かをまとめる作業が好きだったこと、それから先ほども述べたように、人と違うことがしたかったこと、参加した理由として大きくこの3つが挙げられる。

でも今思うと、そんなたいそうな理由を挙げなくても、面白そうだから、一歩踏み出したかったから、というだけでも十分な理由だと思うので、私のような悩みで参加を渋っている人がいるのなら、ぜひ参加してほしいと思う。

 

たくさんの初めて

インターン当日。私はとにかく不安しかなかった。初めての新潟。初めての共同生活。初めて会う人たち。もともと新潟に縁もゆかりもなかった私は、ほとんどのものが初めてだった。暮らす家も昔ながらの古民家を少し改装したような作りで、風呂なし、エアコンなし、網戸も一部なし、土間はある!といった調子で、ますます私の不安をあおる。

そんな初日は、これからお世話になるコーディネーターの皆さんと会い、区長さんやご近所さんにあいさつ回りに出かけた。すると、畑から手押し車を押して歩くおばあちゃんが一人。ご挨拶をすると、糸うり、夕顔など見たことの無い野菜やキュウリなど、抱えきれないほど分けてくださった。初めて会った相手にこんなにも優しくしてくれることに私は本当に驚き、田舎ってすごいと単純に感動した。

釜谷での一週間

初めの一週間は、デザイナーさんを呼んで、冊子作りテクニックを教えていただいたり、おばあちゃんたちが集まるサロンにおしゃべりに行ったり、護摩たきという本来は冬に行われている釜谷独自の行事に参加させてもらったりした。

本当に1日1日が濃い内容で、1週間とは思えなかったな、というのが正直な感想だ。毎日新鮮な気持ちになって、どんどん釜谷にも仲良しのおじいちゃん、おばあちゃんが増えて、これまでの人生とは全く異なる一週間だった。

二週目の気持ちの変化

一週間目は慣れない暮らしで、先も見通せない不安がずっと心の奥にあった。

しかし、二週目に入ったころから、この無いものだらけの暮らしが楽しく、心地よいものになっていた。メンバーに対しても、最初は敬語を使っていたのだが、お互いに遠慮なく物言える関係になり、自分なりの落ち着く距離感、人との関わり方が見えてきたのだと思う。

 

冊子に関してはミーティングを通して、どんなことを伝えたいか、どういう風にまとめたいかを話し合い、それに沿ってお散歩しながら話をしに出かけたり、常会に参加させていただいたりした。

そんな中で、ただ梅について伝えるのではなく、3人が釜谷の暮らしの中で出会った「ときめき」を伝えたい。それも都会で過ごす、モヤモヤを抱えた同世代の子。と私たちは思い始めていた。

あそこのおばあちゃんのお好み焼きが美味しかった。稲穂の揺れる姿がきれいだった。毎日お風呂を貸してくれる優しさに頭が上がらない…、そんな毎日のちょっとした気持ちを伝える冊子が作れないだろうか。そんな気持ちが強まりつつ迎えたのが三週目だ。

悩み、過ごす

イナカレッジも折り返しの時期に入り、本格的にプロジェクトを動かす時期に入ってきた。

この頃は私たちの「ときめき」を紙面で伝えるにはどうすべきか。悩んだ時期でもあった。構成や、地域の求めるものと、自分たちの作りたいものの違い、〆切など、色々な不安が出てきた。

しかし、イナカレッジインターン生が集まる中間報告会で、他の地域でも同様の問題に向き合っていたり、乗り越えてきた経験を聞いたりすることが、自分たちなりの答えを見つけ出すきっかけになった。

何よりも同年代の仲間が頑張っているのは参考になると同時に、自分たちも負けられない!良いものを作りたい!という大きな励みになった。

他にも気分転換に海岸や、町の方で作業をしたり、おばあちゃんたちと道の駅にソフトクリームを食べに行ったり、三週目でありながらも、毎日が新鮮だった。

近づく終わり

釜谷での生活も気づけば残りわずかとなり、冊子の完成に向けて、毎日パソコンとにらめっこをしていた頃。釜谷の皆さんも帰る前に!とお好み焼き会、稲刈り、一緒にご飯…とたくさんお誘いの言葉をくれた。釜谷のおじいちゃん、おばあちゃんは友達のような、家族のような、大好きな存在。断る理由はどこにもない!と作業そっちのけで(⁉)お宅に伺う。

しかし、改まって取材するのではなく、こうした普段の生活にこそ「ときめき」はおこり、良い場面や、エピソードがある。そんなことも釜谷で感じたことの一つだ。

迎えた最終報告会では、冊子を渡し、ページごとに込めた想いや、これまでの感謝の気持ちを伝えた。私は泣かないつもりで臨んだはずなのに、一番にお世話になった方が涙を浮かべているのを見て、気づくと大号泣していた。

その後のお別れ会では、おばあちゃんがその場でお好み焼きの腕を振るってくれたり、おじいちゃんがギターの音色を響かせてくれたり。実に釜谷らしい、のんびりとして、それでいて元気にあふれた空間だった。

あぁ、これが第2のふるさとというものなのだな。

と素直に思った。

得たものとは

まず言えるのは本当に毎日楽しかったということ!釜谷での暮らしは夢だったんじゃないかなと思うし、本当に充実していたと思う。

なにかと呟いていたと自分で思うのは、「贅沢な暮らしをしている」という言葉。

言葉だけ取り出すと、いいものを食べて、高い服を買って、たくさん旅行に行けるような暮らしを想像することが多いだろう。私もそうだった。

でも釜谷にいる時の私の生活は、ちっともそうではなかった。

普段の生活よりもないものは多かったし、不便だったはずだ。

 

でも、そんな小さな田舎の小さな集落で、お散歩して野菜もらったり、長話したり、お昼寝したり、この生活を私は「贅沢だ」と感じた。「ここから帰りたくない」と思った。

何だろう、この感覚は。

出雲崎、そして釜谷の皆さん、一緒に暮らした二人、コーディネーターの三人、他の地域のインターン生、みんな素敵な人たちばかりで。

明確な目的もない、技術や能力もない、そんな私を受け入れて、可愛がってくれて、家族と呼べるほどの仲間にしてくれる。

終盤の冊子作りも大変だったけど、やりがいがあって、居心地が良かった。

本当に、本当に、感謝してもしきれない。

 

高知に帰ってきて、それで君は何がしたいのか、何ができるのか。と問われたとき。私はまだ明確にこれがしたい。これができる。と胸を張っては言えなかった。

しかし、 この一か月の出来事は確実に私の中の経験という言葉だけでは収まらない、新しい価値観のようなものを残していった。

 

まだまだ、この気持ちを上手く表現することは出来ないが、少しずつ、私なりの方法で伝えていけたら、いいなと思う。

今も釜谷からの心配の電話や、コーディネーター、2人の仲間とのメッセージのやり取りは続いている。それを受けるたび、私の心はどうしようもなくあたたかい気持ちと、大きな感謝でいっぱいになる。

釜谷でのインターンは終わってしまったが、釜谷に住む人の暮らしも、私の暮らしも、つながっている。

「また、釜谷に帰ってきますね。」

この言葉に嘘偽りはない。私の釜谷との暮らしは終わることなく続いていくだろう。