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【インターンOG榎本未希のインタビュープロジェクトvol.3】胎内市観光協会 須貝勝男さん

こんにちは!事務局の井上です。夏頃からお届けしている、インターンOG榎本未希ちゃんのインタビュープロジェクトも最終回となりました。

新潟県の中でもインターンで縁のある「胎内市のお世話になった人」にあえて絞ってインタビューをした榎本未希ちゃん。

取材する側とされる側が「はじめまして」のインタビュー記事も多い中、もともと関係性があるからこその言葉が印象的な記事でした。

大学生が授業や進路決めの合間を縫って記事を書くことは容易なことではなかったと思いますが、自分がやりたいと言ってやりきったことはきっとこれからの糧になると思います。私もとても楽しませてもらいました!

それではぜひ最後まで記事をお楽しみください^^

 

***

 

新潟県胎内市の人にインタビュー第3弾は胎内市観光協会事務局長の須貝勝男さん。

須貝さんに胎内市観光協会に就いたきっかけや胎内市への思いをお聞きしました。

えのみき1

須貝勝男プロフィール

1964年 旧中条町(中条駅付近)生まれ

やらにゃんファミリーのお父さん〈やるぞう〉を名乗り、胎内市PRに日夜取り組んでいる、ちょっとうっかりするのが玉に瑕。

【好きなもの】胎内市。胎内市PR。アイスコーヒー。

 

―今の仕事に就いたきっかけを教えてください。

須貝さん:胎内市観光協会に入る前は、30年間くらい製造の仕事に携わっていました。

親が靴屋だったから手先の器用さを受け継いたんだと思います。

仕事の関係で中国に行ったり、韓国に行ったり、タイには4年間くらい行きました。

いろんな国の人・いろんな考え方を持った人との出会いがあり、様々な経験を積ませていただきました。

胎内市にあった生産工場が閉鎖されることになり、東京行きも選択肢の中にあったのですが、家族がいる胎内市に残ることにし、会社を辞めました。退職後1年間は何もしていませんでした・・・。

色々な方との関わりの中で、会ったことはなかったですが、胎内市観光協会の初代事務局長から観光協会の仕事に携わってくれる人を探していると電話が来たんです。

自分はサービスを受ける側の人間だと思っていて、まさかサービスを提供する側になるとは思っていませんでした。

手探りで仕事を進めていくうちに平成27年度から突然、事務局長を拝命され、胎内市観光協会として、みんなが近寄り易く、楽しんでもらえる空間に、胎内市の魅力を胎内市内外に発信できるようにしたいと思うようになりました。まっ!基礎の基礎って感じになりますけど。

 

―海外でもいろんな地域でお仕事をされて、その後、胎内市に戻ってきたのですね。様々な選択肢があった中で、胎内市観光協会に入ることを選んだ決め手は何でしょうか。

須貝さん:胎内市観光協会に入る一番の決め手は、「生まれ育った胎内市に経験を活かして少しでも恩返し出来ることがあるのかも!」と思ったことです。

もともと胎内市に生まれて、40数年好き放題生きてきた気がするんです。勤めていたところの閉鎖などを経験したからだと思いますけど50年たった今、「なにか少しでも手伝えることがあれば」などと考えるようになりました。

えのみき2

―――胎内市への「恩返し」が須貝さんの原動力だったのですね。製造業からサービス業に変えたことに対して大変なことはありましたか。

須貝さん:この仕事をするようになって、例えば「道案内」ひとつでも、分かり易く人に伝えるという事の難しさを痛感しました。勤めだした頃は話し方とか、伝え方に足りないこともあったかもしれません。

人はそれぞれ言葉の受け取り方が違うのです。なので話し方を考えるようになりました。職員との朝礼なども意思疎通を大切にしています。

胎内市観光協会は胎内市のスポットを紹介する場所。コミュニケーションを大切にして、胎内市のために、胎内市内外の人に魅力をPRしていきたいです。

 

 

―――須貝さんは小さいことは胎内市にずっと住んでいたんですよね。小さい頃の胎内市での思い出や印象に残っていることを教えてください。

須貝さん:小さい頃の思い出言われれば・・・三八市が印象に残っています。胎内市は3と8がつく日に「三八市」というのがあって、当時、三八市の日は道路は通行止め、出店区域には数えきれないお店立ち並んでいました。三八市では魚から下駄から服から何から何まで何でも売っていた様な記憶があります。

もちろんその時は今の様な大きなお店もなくて、みんな三八市を楽しみにしていました。神社付近で焼いていた大判焼き!好きでした。黒餡と白餡が売っていて、自分は白餡がめちゃくちゃ好きで、母親と三八市に行くと必ず買ってもらっていました。

今の三八市は徐々に出店する人も少なくなり神社の境内とその周りの一部しかやっていません。今は野菜や魚が少し出ているだけですけど、おばあちゃん、おじいちゃんとの会話が楽しみで懐かしく出かける方もいますよ。

昔の話ですが、当時は人が通れないほどの活気がありました。不便な時代ではあったけど・・・買い物に行くのもご近所だけという時代でしたけど・・・だからいろんなものが買える三八市はみんな楽しみにしていたんだとおもいます。

えのみき3

えのみき4

あともう一つは樽ケ橋が印象的に残っています。まだクワハウスができる前、樽ケ橋の周りは一面芝生で藤の花が有名でした。休みの日は家族連れがみんな弁当を広げていました。

当時覚えているのは人がめちゃくちゃいたということ。娯楽が少ない時代だったから、樽ケ橋へ行って、川で泳いだり魚を取ったり。景観が今と全然違っていたような記憶が曖昧ですけどあります。

 

―――当時はたくさん人がいたんですね。私も三八市に行って当時の大判焼き食べてみたいです。胎内市でのおすすめの観光スポットはどうでしょうか。

須貝さん:胎内市は四季によって違う景色(顔)を見せます。秋は奥胎内の紅葉かなあ。キ携帯の繋がらないところを歩いて紅葉を見るのもいいかもしれない。

冬はスキー場でしょう!滑れませんけど・・・。

アクティビティーの施設も胎内市の魅力だと思います。フラワーパークや、胎内昆虫の家、フィッシングパーク、クレーストーン博士の館に胎内自然天文館。こういう施設は好きな人は知っているんです。情報社会なので好きな場所を見つけて1人でも少人数でも胎内市に来てほしいです。

 

―――なるほど。確かに新潟市に住む私の友人も、星を見るために胎内市に来たり、虫や地層が好きな人も胎内市の施設を知っていました。大自然の中にこういった生涯学習施設がたくさんあるのも胎内市の魅力なのかもしれませんね。胎内市観光協会としてこれからどのように地域に携わっていきたいですか。

須貝さん:これからの胎内市観光協会は、個人で頑張っている人をクローズアップして、胎内市の魅力のひとつにするような、いわゆる発見する観光協会でありたい。

例えば、料理教室をやってみたいと手を挙げてくれた方や胎内市のご当地ヒーローとか作りたいという人に活躍の場を見つけてやりたいと思っています。

また、各団体のイベントなどの後方支援、情報発信の名のもとに胎内市内外の方への告知などを引き続き行いたいと思います。そして最終的に胎内市内外に胎内の魅力を伝えていけたらいいかなあ。

観光協会はプラットホームのような役割として、胎内市全体の観光自体の底上げを担う場所だと思うのです。

 

―――胎内市の人がやりたいと思う事へのサポートをしながら、その魅力が胎内市の外に広がっていくといいですね。最後に胎内市に行ってみたいと思っている方々に向けてメッセージをお願いいたします。

須貝さん:自分にとっては「胎内」はふるさとです。でも、胎内市外から来る人にも「胎内」は「ふるさと」になれるんじゃないかなあと思います。

胎内市はとても住みやすいところです。食べるものにもきっと困りません。山・川・海もあって、四季折々の景色も見せてくれます。胎内市に来てみたいな~って思ってくださった方はぜひ胎内市観光協会にお越しください。

 

(聞き手・文:榎本未希)

 

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