ムラに学ぶ、ヒトに学ぶ、自分らしいライフスタイルを実現する。
にいがたライフスタイルカフェ2017 レポート VOL.2 コミュニティプレイス〜コミュニティをつなぐ場をつくる〜

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何かを始めようというときや困りごとに出会ったとき、心強いのがコミュニティ(共同体)の存在です。それぞれの生きやすさ、楽しさをつくるために、さまざまなコミュニティを繋ぐ場が地方でも増えてきています。地方でコミュニティをつくり、動かしていくために、どのようなことが行われているのか、実際に場づくりをしている3名の方にお話を伺いました。

 


 

 

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吉野:新潟市の内野町で「つながる米屋コメタク」をしています、吉野さくらです。私の実家は宮崎県で農家をしていて、もともと新潟には縁もゆかりもありません。実家でお米も作っているので、お米を買うという経験をしたこともありませんでしたし、もともとお米に対して強い思い入れがあったわけではないのですが、内野町にある「飯塚商店」というお米屋さんに出会ってから、お米や食の面白さを感じて、その当時住んでいた鹿児島市から内野町に移り住みました。

 

私はそもそも内野町に惹かれて移り住んで来たわけではないですが、内野町で暮らしてみると、すごく面白い町だなと思えてきました。新潟駅から電車で20分くらいのところにある、田舎でも都会でもない、いわゆる普通の町。それでも、暮らしてみると面白さが見えてきて町の人や風景に愛着が湧いてきました。しかも、世の中は内野町のような普通の町だらけです。田舎と都会の間にある普通の町を楽しめたら、もっと色々な町を好きになれるんじゃないかなと思い、飯塚商店の空いていたスペースを改装して、内野町での暮らしを面白がる拠点をつくりました。今は、そのスペースで朝ごはん会や内野町での暮らしを体験してもらうイベントなどを開いています。朝ごはん会は毎週土曜日の朝に開いていて、参加者は大学生が主です。いつの間にか100回以上続き、通算600人強は来てくれています。

 

私にとって、気持ち良いコミュニティは、「いつでもある居場所」としてずっと続くものというよりは、偶然集まったその瞬間に「あ、仲間だね」と思えて、何かが終わったら解散していく形だなあと思っています。だから、朝ごはん会のように、緩やかに集まりその瞬間を一緒に過ごして解散していく場が、今は楽しいなと思っています。

 

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タナカ:京都から来ました、タナカユウヤです。僕は今、京都に住んでいるんですけれども、出身は滋賀県です。ツナグムという会社をやっていまして、「人と人や、人と地域の繋がりをつぐむ」をテーマにしています。今、京都の築100年くらいの町家を使って、2階の部分をオフィス、1階部分をレンタルスペースとして運営しています。京都で起業をしたい人やスタートアップの人たちを集めて、その人たちが成長できるようなプラットフォームとして、イベントの開催などをし、年間3000人くらいの人たちが来ています。町屋という古き良き建物の中で、最先端のものが生まれるようなコミュニティを目指しております。

他には、最近、西陣織の会社の新規事業を手伝う形で、コワーキングスペースを作りました。この場所は西陣に特化して、先ほどの町家とは違い、ローカルな人たちが集まるようなコミュニティづくりをしています。こここから何か新しい波を地域に起こしたいなと思っています。

 

僕らは今、京都移住計画という取り組みをしておりまして、京都に移住する人たちの入り口づくりをしていています。この取り組みは、コミュニティの活用としては大きくて、京都に移住して起業したい人であれば町屋などのスペースに繋ぐこともできるし、京都に暮らしてみたい人には住む場所や働く場所の案内もします。2012年から始めて5年くらい経つので、大体ここで繋がった人たちだけでも1000人以上は超えます。京都移住茶論という定期的な交流会をやっているんですけど、それにも全国から毎回だいたい40名くらいに来ていただいています。今までは、住む場所は、まず仕事を決めてから選ぶことが多かったと思うんですけど、これからは、働き方や住まい方や生き方を考えて、場所を選んでいく事が重要かなと思っています

 

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たつみ:たつみかずきと申します。人口3000人の長野県小谷村でLODRC Japan合同会社をやっています。もともとは、大阪で生まれたのですが、小学校の山村留学という制度で、小谷村に3年間住んでいました。青春時代は京都で過ごし、22歳で小谷村に移住して、小谷村の役場職員になり、役場を辞めて、宿を始めました。

僕らは田舎に来る人の働く場をつくる、という事を生業にしています。今やっている事業は色々とありますが、最初にゲストハウスを始めました。ゲストハウスで地域への入り口をつくり、その後、その地域に住める場所をつくるために、シェアハウスを始めました。300人しか住んでいない集落に、大体年間1500人くらい来ているので、波及力はそこそこあると思います。

 

シェアハウスは2つあります。1つ目は、「motone」2つ目は「林屋旅館」です。シェアハウスでは、月に1回「シェアごはん」という誰でも参加できる夕食会をしています。ここのシェアハウスのミソは、コミュニティになっているけれど、利用者だけで構成されていないことです。「シェアごはん」に来るのも半分以上が地元の方なんですよ。地元の方が集まれるようなシェアハウスになっている。これが面白いんじゃないかと思います。地域への入り口であり、地域での住処です。地域でどうやって生きていく?という事を行政・民間・地元・よそ者・若人・素人・玄人、関係なくみんなで考えようぜ、と思いながらやっています。

 

コミュニティとしては、うちは「完全中立」を謳い文句にしています。町は派閥がすごくて、こっちの人と仲良くしたら、こっちの人と仲良くできないみたいなこともあるんです。けれど、僕らは、よそ者だからよくわからないというのを武器に、誰でもかんでも巻き込んでいます。今は日本中でどこでも住めるような仕組みができているので、「共謀 / 共働 / 共感 / 共有」できるところであれば、どこでも住めるのではないかと思っています。

 

 

コミュニティをつくる、コミュニティが生まれる


日野:初めは、知り合いも友達もいない中で、場づくりを始められたと思うんですけど、どうやって始めて、どうやって広げていったか。そういうところを、お話していただけたらな、と思います。まず最初になにをしたんですか?

 

 

たつみ:僕は22歳で移住したんです。元々、山村留学生というのもあって、地元で受け入れられる気満々で行ったんですね。でも初めの2年間は結構過酷でした。僕も、22歳で移住して、ヒューヒュー言われていて、調子に乗ってたってのもあるんですけど。最初はなかなか受け入れられず、孤独で、「なんでこんなところにいるんだろう?」と思いながら過ごしていた時もありました。村の人も僕のことをよく知らないので、最初は消防団の活動や草刈りや飲み会に参加するところから始めました。「なんかよく分からないけど仕方ないよね」と言ってもらえるようになるまで約2年かかりました。

 

田舎の雰囲気を楽しむには、コツコツやらなきゃいけない事があります。村の人にそっぽを向かれたら、何にもできないので、仲良くするためには、村の人たちと同じような生活をするのも大事です。

 

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タナカ:商店街や地域の人たちは、若い人を欲しいというニーズが多いので、地域の人たちとも仲良くしながらコミュニティをつくっていきました。京都の場合は、学生さんがすごく多いので、その繋ぎ役になれるんじゃないかなと思い、間を取り持つことをよくやっていました。

 

移住計画に関しては本当に自分事としてやり始めたので、まさかこんなに盛り上がるとは思っていなかった、というのが正直なところです。初めの頃なんて、カフェで5人くらいで集まって移住トークをしていました。今は新潟も含めて全国各地に20箇所の移住計画があります。京都移住計画では、そこで生きていて、めっちゃ活き活きしている人たちに、そこで暮らしたいと思っている人を繋げていきたいと思っています。コミュニティを色々なところにつくり、きっかけになることを仕掛けていますが、ある程度動き始めると次のコミュニティは勝手に生まれていくなぁと思っています。

 

 

日野:自分の企画から始まって、そこに集まった人たちからコミュニティが生まれていく、という感じなんですね。

 

 

吉野:私の場合は、初めは私を含めて3人でコメタクを始めました。私たちはただ飯塚さんと何かやりたいと思って移り住んだので、当然、友達もいなくて、どうしようかなと思いました。周りの人からは、「何をしに来たんだ?」「いつまでやるんだ?」と聞かれたんですけど、わかりやすい理由はなく直感を信じて移り住んだのに、適当な言葉を繕ってコメタクをしている理由を説明する自分に嘘っぽさを抱きましたし、言葉で説明することに限界も感じたんです。そこで、まずは場をつくろうと思い、やりたいことやつくりたいものを表現するために朝ごはん会を始めました。

 

そして、コメタクという名前は「米を炊く」という行為そのものでもあるので、始めた3人のチーム名ではなくていろんな人に使ってほしいなと思っています。米を炊いたら、「コメタク」です、と名乗れるくらいに。よく朝ごはん会に参加してくれている大学生にもそんな話をしていたら、結果として、今では私がいないときには今まで参加者として来ていた大学生が朝ごはん会を開いてくれています。

 

 

任せることで自走するコミュニティ


日野:今、それぞれ自分たち発信でコミュニティが生まれたという話をしてもらいました。でも皆さんはその次の段階に進んでいるのかな、と思います。自分がいなくても、そのコミュニティが回ったり、広がったり。そういう風に自走するコミュニティに至るまで、どういう事があったのか、どういう仕掛けをしたのか、もしくはしてないのか。をお話しいただけたらと思います。

 

 

吉野:私は、特に深く考えていませんが、積極的に、いなくなります。いくら好きな町、好きな場所であっても、新鮮な気持ちで見ないと感覚が鈍ってくる気がするので、定期的に内野町を離れて、違う地域に行きます。私がいないと「いないならやってみよう」という人が現れるのが面白いです。ずっと私がいて一生懸命隙間無くやってしまうと「あそこは吉野さんが回す場所」となります。でも、私が勝手にいなくなるので、周りの人が想像力を働かせて、勝手に何かをやってくれるのは嬉しいですね。全部をやりきらなくて良かったな、と思います。

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タナカ:自分がプロデュースに関わったコミュニティに関しては、そこからビジネスに繋げるようにしてもらって、コミュニティとしても事業としても上手くバランスよくやっていただけるようにはしていますね。

 

コミュニティをつくったら「育てなきゃ」と思う人もいるでしょうが、僕はそんなことなかったです。あえてコミュニティを潰す気はないですけど、辞めたり、活動を停止したりするというのは有りだなぁ、と思っています。自分自身も無理しない範囲でやりたいなと思う活動も多いので、その辺りを想定しながらできたらなと思っています。広く柔軟に応援してあげることが重要で、コミュニティも自分のペースでやるのが一番良いかと思います。

 

 

たつみ:僕の場合、他の世代の人達と話が合わなくてつらかった時期に、他の地に逃げることもありました。でも、このままではだめだなと思って、宿を始めたんです。1年目の宿の目標は、スタッフを見つける事でした。1年目で出会った素敵な人に宿を任して、2年目から僕は全く宿の運営には携わらないようにしています。そのタイミングで僕は別のことをやり始めて。「作っては消える」みたいな感じです。

 

シェアハウスには今まで村にいないと思っていた若い人も含めて、いろんな人が集まっていて勝手にコミュニティができます。自転車みたいなもので、スタートはすごく重いんですよ。でも走り始めたら、軽くなっていく。集まり始めたら、ある程度いくと、勝手に広がっていくこともあるなと思います。

 

 

日野:人が人を呼ぶのですね。

 

 

タナカ:コミュニティを、「自分がそこの人だ」という勢いで紹介してくれるような人が勝手に生まれてくると、存続はしていくのかな、と思います。そして、その場所だけじゃなく、外部にもファンをつくると良いと思います。

 

 

日野:広がる緩さというか、余白を残しておくって事ですね。IMG_9270

 

 

たつみ:でも、つくる側は真剣にやらなきゃいけないですよね。だた人を集めるだけでも、責任や収益という話になるんです。うちも最低限、宿なので宿泊費が必要なんですよね。シェアハウスには家賃が必要なんです。僕らだって商売なので、責任など面倒くさい話も沢山降り積もります。

 

 

コミュニティをつくりたい皆さんへ


たつみ:結局、コミュニティは人生の豊かさだと思うんですね。彩と、僕は言ってますけど、そいういものを楽しんでいただければな、くらいに思っています。

 

タナカ:今は、色々な情報があってわかりやすくなってきていると思います。それを見て笑っているだけじゃなくて、実際に足を運んでみるとか、行ってみるという事をまずやっていただけたら良いなと思います。それをビジネスにしていくっていうのは、なかなか難しいと思うんですけど、そういうチャレンジをしたい人がいれば、サポートする人も世の中からお金を集める仕組みも色々あるので、ぜひ挑戦していただきたけたら良いなと思います。

 

吉野:私は、「米を炊く」ことをテーマに集まっているコミュニティなので、ちょっと特殊かもしれないんですけど、そういうテーマでもできるんだなと思ってもらえたらと思います。「これがコミュニティになり得るの?」と思うようなものでも、やってみたらできるかもしれません。ぜひ新潟に来たら、一緒に米を炊きましょう。

 

 

日野正基
日野正基
イナカレッジ事務局
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