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  • 2017.08.07
「自分が自分らしくいるために」 新潟と沖縄で暮らしを考える荻ノ島移住者対談

地域を書く合宿in柏崎市高柳町にて、参加者の水澤 陽介さんが書いた記事です。イナカレッジのインターン生の受け入れ先でもある「高柳町荻ノ島集落」の移住者紹介記事です。

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※2017年3月10日から12日に荻ノ島で行われた「地域を書く合宿」での特別対談になります。2人は、なぜ東京に離れたのか。新潟と沖縄との共通点を探りながら、移住に対する考えかたをお届けします。

あなたは、どんな暮らしをしたいと思いますか?

昔から生活を豊かにするために、地方から東京に「上京」することはよく耳にしますよね。しかし、最近は都会から地域へと移り住む「移住」を検討する若者が増えてきます。また、地域住民も地方自治体でも、若い移住者を受け入れようと積極的です。

地方へ移住するという選択肢が一般的になってきた一方で、「どんな土地が自分にあうのだろう?」「地域の人とどうやって接点をつくるのか」「楽しく暮らせるか心配」、悩みは尽きません。

今回は「新潟県」にゆかりを持つ2人の移住者による、移住の経緯や、その土地ならではの文化、その土地での暮らし方についての経験を語り合う対談をお届けします。

img01堤さゆり(埼玉→新潟県柏崎市高柳町荻ノ島)/埼玉県生まれ。大学卒業後、東京の図書館で働くも、都会暮らしに違和感があり、2015年にIターン留学『にいがたイナカレッジ』に応募。新潟県柏崎市高柳町荻ノ島での1年間のインターンを経て、2016年に荻ノ島の移住。

img02水澤陽介(新潟県胎内市→東京→沖縄)/新潟県胎内市生まれ。大学卒業後、東京で就職するも、「ここは暮らすところではない」と感じ、2013年に沖縄県に移住。現在、ライターとして沖縄の「ひと・もの・こと」を取材する。年に1度しか新潟に帰らない、典型的な親不孝もの

地方移住の後押しは、東京暮らしでの違和感

水澤:新潟県生まれとしては、新潟に移住してくれた人は無条件に好きになっちゃいます。堤さんは、新潟にゆかりがあって、移住なさったのですか。

img03荻ノ島のかやぶき宿にてお話を伺いました

堤:いえ、自然が好きだったので、田舎暮らしには興味があったのですが、新潟県に来たことはなくて。

水澤:どうして、来たこともなかった新潟に移住しようと思ったんですか。

堤:私はもともと、実家がある埼玉で育ち、東京へ働きにいっていました。電車に揺られて同じところを行ったり来たりする日々。急に背景がグレーになる感覚がありました。その時に、『これは、もう東京は合わないな』と思ったんです。当時、私は図書館で働いていたこともあり、本を接することが多く、地域に伝承された文化にふれたいなと思い、そういった観点でも移住先を探していました。

水澤:その気持ち、わかります。僕も、東京に住んでいたとき、「ここは暮らすところではない」と思っていました。東京は、働くだけのところだと割り切っていました。どこか、地元胎内市で暮らしていたときの『人と人との距離の近さ』を求めていたかもしれません。

堤:でも、新潟を離れたんでしょう?

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水澤:はい笑 それは、地元にいると兄弟と比較されてしまうんですよね。3人兄弟の末っ子で、『お前のにいちゃんはね』って知らない人にいわれるんです。それが、いやでいやで。自分のことを誰も知らない東京へ向かいました。でも、東京では暮らしに対しておもしろみを感じられず、沖縄に流れ着いた感じです。僕は、荷物1つで移住しちゃったタイプですが、堤さんは『にいがたイナカレッジ』のインターンに応募したのはなぜですか。

堤:どうしても環境を変えたいと思って、仕事を辞めたのがきっかけです。ただ、自分のことを知らない土地にいきなり暮らしはじめて、住民のかたが受け入れてくれるのか不安でした。そんなときに、『にいがたイナカレッジ』のインターンを見つけて、体が勝手に動いた。はじめは、1年間新潟に暮らすことができれば、この経験を起点にしていろいろ動けるかなとは思っていました。まさかそのまま移住することになるとは、当時は思っていませんでした。

地域ごとの季節・風土で、多種多様の楽しみかたがある

水澤:僕はそこまで考えていなくて、とにかく「行ってみればなんとかなる」とは思っていました。でも、はじめの1年間はとにかく苦しかった。沖縄に慣れることでいっぱいいっぱい。

img05インターン中に、地元の人と農作業したときの様子

堤:私は、インターンの1年間は、地域の人に自己紹介していった感じです。『堤さゆりはこんな人です』と言葉に出すというよりは、暮らしかたを見てもらった。

水澤:移住先の人たちは、僕たちの行動をよく見ていますよね。「悪さをしないか?」「どういった関わりを持ってくれるのか?」など冷静に見て、判断していると思います。

堤:例えば、インターンの仕事で集落の草刈りをしていたんですが、丁寧に取り組んでいるのか、サボっていないかは、すぐに村民に気づかれますよね。幸い、私はのんびりな性格だから、開き直って丁寧に行なっていきました。それが、相手の信頼に繋がったかもしれません。

水澤:僕も、信頼を得るために1年間ぐらいは必要かなと思います。沖縄でも、話しかければ笑顔で接してくれるけど、心では「信頼できるやつか」って。今まで、素行が悪かった移住者の一部に対するイメージがあるようで、そのままを背負わっていた感じでした。実際に、堤さんは地域の人とどんな関わりをしてきましたか。

img06地元の人に教わりながら、稲刈りを行う堤さん

堤:畑や田んぼ、草刈り。その他、集落センターでの事務処理など。あとは、荻ノ島の食や伝統工芸に興味がありまして、時間をみつけては集落の人に聞きにいっています。

水澤:きっと、地元の人もうれしいだろうな。「待ち」のひとより、自分から「行く」人のほうが好まれますから。どんな人たちに文化を教えてもらっていますか。

堤:集落に住む60代から90代のお母さんたちです。最近だと、92歳のお母さんが作ってくれた酢レンコンがおいしかった。子どもの頃は、壺などにつけていた酢レンコンがあって、よくツマミ食いしていたようです。ただ当時は、母親に作りかたを教わったことがなかったらしくて。今、92歳のお母さんが試行錯誤して、やっと酢レンコンを再現できたと伺いました。そんな思い出の料理を、私たちが勉強しています。あとは、一緒に田植えしたお母さんたちに、縫い物や村の伝統など、居間でお茶飲みしながら教えてもらっていますね。

水澤:昔から住んでいるかたたちは物知りですよね。僕も、還暦のお兄さんたちに、沖縄返還のときの話しや統治下にドル札を使っていたことなど、教えてもらっています。地域にとって、その土地の歴史や文化を伝承できるひとたちはかけがえのない存在。

img072016年に行われた、沖縄にルーツを持つ方々が集まる「ウチナーンチュ大会」。過去の歴史を今に伝えるイベントとして、大事な役割があります。

堤:荻ノ島集落では、四季と共存するために生まれた生業も魅力的です。例えば、春夏秋冬でできることが違うんです。冬だと織物、春だと田植え、夏だとカラムシという青苧を刈ったり、秋だと春に田植えした稲を収穫できるなど、1年中楽しめますよね。

水澤:沖縄だと昔には、温暖の気候を生かして稲の三毛作を行なっていたようですし、それぞれの地域ならではの風土と生業がありますね。

img08荻ノ島の公民館で行なった食事会

堤:移住した先ごとに、文化を享受できるのはいいですよね。

“普通”を共有できる関係性が、居心地さを生む

水澤:僕はいきなり沖縄に移住しましたが、堤さんは1年のインターンが終わったあと荻ノ島移住を決心するまでにハードルがありませんでしたか。

堤:すごく悩みました。でも、荻ノ島は「荻ノ島を愛してくれる」かたを受け入れる活動を20年前ぐらいに行っていて、移住者との関わり方、考え方が先進的なんです。集落として受け入れの土壌がすでにできていたこともあり、私にとって居心地がよかったのを覚えています。インターン後には、さまざまな地域に足を運びましたが、やっぱり荻ノ島なら私を受け入れてもらえる。ここにいてもいいんだと思えたんです。

水澤:そう思えたのは、きっと堤さんと集落の人たちとの関係性もあったからですよね。

img10インターン後から続ける「荻ノ島だより」は、堤さん視点で集落の魅力を伝えています

堤:私が1年をかけて自己紹介していくなかで、地元の人たちも「荻ノ島の仲間」だとして認めてくれたと思います。あと、過去の話しを詮索せず、今の姿をきちんと見てくれるところも好きです。おせっかいすぎず、でもちゃんと私を尊重してくれるかたがただから、移住できたと思います。

水澤:僕は、沖縄だと「友達の友達は、友達」というような、フランクさが心地良いから住めると思います。そういった地域の特性が自分に合うのか選べる、地方には多様性がありますよね。

DSC_0436沖縄では、母なる海が近くにあるため、心がオープンになりやすく、人と人との距離感が近いところも魅力の1つ

堤:はい、あと仲間思いというか、荻ノ島の人たちは和を大事にしますね。例えば、旧正月に行う「さいの神」はご存じですよね。みんなで、お正月の飾りを燃やすお祭りで、集落の人たちが一同に集まるものです。

水澤:もしかして、スルメを焼くものですか。

堤:はい笑 あれは、旧正月に、一年のはじまりとして行い、集落に住む人たちの無病息災を祈るものなんです。

水澤:てっきり、スルメをみんなで焼いて食べるものだと。はずかしい。

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堤:私は、そういった荻ノ島の伝統文化にふれてきて、ある意味よそものだからこそ人一倍吸収できた。その上で、集落に住む60代から90代の“普通”の生活に興味があることに気づきました。どんなものを作るのか、どんなものを食べるのか、どういう風に生きてきたのか。ぜんぶ、丸ごと楽しめるのが私にとって“普通”。もちろん、パソコンやネットショッピングを行いますが、荻ノ島は自分にとって一番普通でいられる場所なんです。

水澤:相手の文化を楽しめることも、移住にとって大事な要素ですからね。自分の考えを押し付けすぎると、苦しくなりますからね。

堤:移住に正解はないですもんね。もう一人、荻ノ島に移住したカップルがいますが、そのかたは3ヶ月期間限定で住んでから、ここに移住してきました。人によって、タイミングも場所もそれぞれ違う。だから、自分が普通にいられるところに住んだほうがいいと思います。

【まとめ】「移住」には、答えがないからこそ多様性がある

今回、「新潟」に縁がある移住者同士でお話ししていて、人によって意心地の良いと感じる「普通の暮らし」は1つではないと思いました。荻ノ島のいいところ、沖縄のいいところ、それぞれ自分にとって暮らしやすいところは違って当たり前です。

47都道府県それぞれの土地があり、それぞれの文化があるからこそ、移住をきっかけに多様性を知ることにつながります。もし、暮らしのなかで普通でいられないと感じたときは、「にいがたイナカレッジ」で今まで知らなかった、多様な暮らし方をしている地域を知ってみませんか?

にいがたイナカレッジ
HP:https://inacollege.jp/
インターンなどのお問い合わせはこちら:https://inacollege.jp/otoiawase/

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新潟県胎内市生まれ。2013年から沖縄に移住しました。Webメディア、紙で地域に住む人たちに関して執筆しつつ、沖縄の文化を研究中。2018年から地元胎内市にも貢献できるよう頑張ります。
https://medium.com/yosukemizusawa(サイト)
https://www.facebook.com/yousuke.mizusawa(フェイスブック)

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