ムラに学ぶ、ヒトに学ぶ、自分らしいライフスタイルを実現する。
にいがた移住ストーリー「栗原里奈」編

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灰色と黒の世界

私は結婚を機に移住したので、“必然的に来ざるを得なかった”と見られますが、もともと「地方に移住したい」という気持ちがありました。

私は千葉県松戸市というベットタウンに生まれ育ちました。夏休みはよく静岡県静岡市の親戚の家に両親に連れて行ってもらいました。江戸時代に建てられた親戚の家の縁側が大好きでした。外から吹き流れる優しい風、鳥の声や葉のかすれる音、そこで流れるゆったりした時間。今でもその感覚や時間を覚えています。しかし、自宅に帰ると周りは家ばかり。ゆったりした時を過ごす場所や余裕も感じられません。「縁側のある家でゆったりした時を暮らしたい」という気持ちは芽生えていました。

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短大を卒業後、カスタマーエンジニアの職に就きました。機械があるところはグレーアウトな世界。灰色と黒ばかりたくさんある環境でずっとお仕事していると、目が自然と緑のものに向かうようになりました。そんな折、自然を体感したいという目的で二〇一一年二月に岩手県遠野市のツアーに参加しました。馬搬職人さんが新月の時に切った木を、馬を使って山から降ろす伝統の作業(地駄引き)を見たり、休憩時間に職人さんが雪上で火を焚いて、沢から汲んできた水を沸かしてコーヒーを飲んだりするなどの体験をしました。職人さんとしてはなんてことないことかもしれませんが、火はガスコンロのスイッチを押して出すもので、お水は蛇口をひねって出るものという頭があったので、衝撃的なことでした。この経験から「自然にそった暮らしをしてみたい」と強く思う様になりました。
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東日本大震災をきっかけに生き方を考えた

最後に、移住の気持ちを強くした背景には、東日本大震災があります。震災後、スーパーにお米を買いに並んだら目の前で売り切れてしまって「このままではだめだ」と思いました。この経験は物流に頼った都会の食糧維持の脆弱性を強く感じると共に、都会に住むことは生きる力を奪っていくと感じました。二〇一一年七月に行った、新潟県長岡市川口木沢集落では、道が寸断されていて自衛隊が入れなくても、自分たちがつくったお米、野菜、保存食で十分に食事ができたり、亀裂の入った道路を自分たちで直して自衛隊の人が入れる様にしたりしたそうです。遠野や川口で生きる力の強い人たちに出会い、「何かを自分で育てる力、何かを自分でつくる力、何かを自分で考える力は、生きる上で大切だ」という想いを強くしました。そして、それは地方でこそ養うことができるのではと考える様になり、移住の気持ちがより一層高まりました。

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その後、長岡市内に住む旦那さんとの結婚を機に新潟県長岡市に移住してきました。最初は長岡市内の街場に住んでいましたが、昨年から当初の希望であった川口で暮らしています。自然に沿った豊かな暮らしを実現できるように、そして、地域の風土を継承して次世代に伝えられるように、少しずつ歩みを進めていきたいと思います。
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栗原里奈
(※この記事はchuclu(ちゅくる)2013夏号に掲載したものです)

栗原里奈
栗原里奈
六本木農園
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